福岡タワーの歴史

今でこそ有名な観光スポットですが、昔はアジア太平洋博の時に作られた施設なんです。
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福岡タワーの歴史

福岡タワーは、その昔1989年に行われた「アジア太平洋博覧会」通称「よかトピア」に合わせて建設されたランドマークタワー。
アジア太平洋博覧会が行われた会場は、その当時は海で、百道浜および地行浜一帯を埋め立てて開催されました。 博覧会終了後、今はIT企業を誘致したオフィス街と、高層マンションや一般の住宅地、公園となっています。

アジア太平洋博覧会(よかトピア)

1989年に、福岡市制施行100周年を記念して開催された「アジア太平洋博覧会」通称「よかトピア」
日本国内からは、1056企業・団体、国外からは37か国・地域と、2国際機関が出展参加し、全部で43館(国内33館、外国10館)のパビリオンが設置され開幕しました。 開催直後はガラガラだったように記憶していますが、最終的には期間中の来場者数は823万人(目標700万人)に達しており、盛況の内に終了したようです。

wikipedia参照

アジア太平洋博覧会(よかトピア)の様子



福岡タワー

福岡タワーは、そのアジア太平洋博覧会の施設の中でも、シンボルとなる施設。 福岡市上空は航空路となっていることもあり、高層建造物の建設が認可されていなかったが、福岡タワーの建設により、その後16階建て以上の建造物も認められるようになり、 現在のタワーマンションの建築ラッシュに活路を開いた。
「よかトピア」終了後は、福岡タワーはNHK福岡放送局をはじめ、RKB、FBS、TNCの福岡基幹局送信設備として利用されています。



福岡タワーツア−

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